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【涙の毎日】海外インターンが想像よりはるかに厳しかった話

 
lady
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フリーランス通訳者。バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて社内通訳・翻訳を2年、ビックデータ関連の海外取引に携わる。国際交流のイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。2020年に独立。

留学体験記、今日は海外インターンについて触れてみたいとおもいます。先に言うとですね、これはトラウマになるくらいシビアでした…..

もちろん自身の英語力と知識が足りなかったからなのですが、折角なので、面接から終わりまでどういう道筋を辿ったか書き記しておこうと思います。留学仲介会社の説明では、なかなかこういったリアルなものはないので、迷ったらぜひ参考にしてみてください。

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どうやってカナダでインターン先を見つけたのか

自身の場合現地の専門学校が後ろ盾になってくれて、キャリアアドバイザーと相談しながら探していくでした。イチから見つけるのが大変だろうなとおもい、そもそも学校とインターンがセットになっているプログラムを申し込んでいたので、そこは身1つで動くより楽だったと思います。

Resume(履歴書)を2,3枚つくって、学校を通して応募。基本無給ですが経験を積むためと心に決め、しっかり書類選考や面接に足をはこびました

 

ドキドキの圧迫面接

場所はダウンタウンから電車で30分、最寄りから15分ほど山にはいった小さな引っ越し会社ドイツ人の年配の男性が経営しており、スタッフはドイツ人の女性とカナダ人男性だけ8畳ほどのオフィスに、応接室もついていて、横にはトラックが何台か止められる大きな倉庫が併設されていました。時間の5分前に社長の部屋へ案内してもらい、

  • なぜこの会社か
  • どんなことをしたいのか

などいろいろ聞かれました。ただ当時はおどろくほど話せなくて、詰まりながら回答しました。ただ熱意だけは伝わってようで、「半月あげるので、英語をなんとかしてきて」といった回答いただき、その場でインターンの契約を締結しました。半月をフルに使って街のヨガにいったりMeet upにいったり、シャドーイングしたり、なんとかついていけるよう死に物狂いで勉強しました。

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(難易度が高い方が伸びると思い)ネイティブだらけの環境へ

メイン業務はカスタマーサービス(というか電話番)国際引っ越し会社なので毎日ドバイ、オーストラリア、インドなど色んな国から電話がかかってくるわけです。

どこからどこまで何を運びたいということを聞いて、見積もりを出す作業を延々と繰り返しました。とにかく困ったのは、地名がわからない。「Trinidad and Tobago」といわれても、単語だか国名だかすら、わからない。(これはカリブ海に位置する国)。あまりに的確なやりとりができないので、「だれか英語話せる人いないの?」と電話先で何度も怒られました。

 

子供でもできることが出来ない、役立たずさにプライドはズタボロ

なんでしょうね、人って出来ない時ほど強がるんですよね。いまだったら「聞き取れないからだれかかわって」って言えるのに、出来ない自分を認めたくない、出来ないなんて思われたくない。何もないのにプライドだけはある。きちんと仕事をしたいのに出来ない、というか。電話を取って、内容を聞くっていう単純なこと、子供でもできるようなことが、英語が満足に話せないために出来ない。

しいて例えるなら、小学校3年生で漢字が読めない状態で、大学の授業を受けるイメージですかね。とにかく、努力とか、気合いとか、そういったものでは何ともできないくらい高い壁を感じました。

 

1ヶ月経った頃にギブアップ

それでも、5ヶ月頑張ろうともう必死でメンタルを立て直そうともがいたんですけど、自分の最大限の力を発揮しても、充分な、最低限の仕事も出来ない。学校とも相談して、間にはいってもらいやめさせてもらいました。そのあと、別の会社に面接も行ったのですが、先のことや金銭面、色々考慮してインターンは棄権させてもらうことにしました。

(学校にはめちゃくちゃ怒られましたし、謝り倒しでした….) 

 

大きな夢を叶えたいのなら、目標までの道筋を描け

自身努力と運で乗り切ってきた部分があって、高校も大学もだいたい最後は、「なにとかなる」人生だったのだと思います。最後の追い上げでなんとかなる、と思っていた。でも社会はそうはいかないことがわかった。変に夢を見るのではなく、身の丈にあったものを順々に選んでいく必要があったのです。高い目標を達成するためには、きちんと計画をたてて、短期目標(マイルストーン)を配置し、ひとつひとつきちんとクリアしていく必要があることを知りました。

 

あとがきにかえて

インターンをやめるときに心の中で決めたのは、「この決断を絶対後悔しない人生にする」こと辞めたことを言い訳にしない、やめたことで自分を卑下しない「挑戦を怖がる」ようにはなりたくなかったんですね。インターン先にも迷惑をかけたけども、これをなかったことにせず、これを糧に、これすら後悔しないような人生を作ろうとそれから必死で働いてきました。経験してよかったと思えたのは、帰国してから5年後でしょうか。

一見もう立ち直れないというような事象であっても、自分次第で何とでもなること、これを知っていれば失敗しても大抵のことは何とかな気がします。ただ、目標設定を見誤るととんでもないことになるので、注意してくださいね。留学帰国後の就活難民生活についてはこちら 留学ニートだった私が、英語の仕事に就くまで にまとめております。

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フリーランス通訳者。バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて社内通訳・翻訳を2年、ビックデータ関連の海外取引に携わる。国際交流のイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。2020年に独立。
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