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留学体験記 | ニートだった私が英語の仕事に就くまで(後編)

 
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フリーランス通訳者。バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて社内通訳・翻訳を2年、ビックデータ関連の海外取引に携わる。国際交流のイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。2020年に独立。

前編では留学後ニートになり、7人くらいの小さな国際物流会社に就職したところまでお話ししました。ここからは地獄の社会人生活と起死回生、それでは後編にはいっていきます。

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⑤ 仕事は超国際的、毎日世界中の人とメールを交わした

仕事自体はずっと憧れていたやりたかったもので楽しくやり甲斐もありました

その会社はシンガポールにある大きな会社の代理店をしており、それ関係の仕事が8割。(2割は駆け込んでくる謎の外国人案件)メールは殆ど英語で、国際電話もしょっちゅうかかってくるような国際的な仕事でした。インド、パキスタン、UAE、トルコ、イギリス、イタリア、フランス、シンガポール、タイ、マレーシア、台湾、韓国、アメリカ、毎日それこそ世界中の人たちとメールでやり取りをしていました。

英語を使うというより、取引を進めるために英語を使わざるをえなない状態で、会社は日本にいるのに、外国にいる気分になるくらい国際的な雰囲気でした。

 

⑥ いくら好きな仕事でも、お金がないって惨めだ

社長は厳しかったけれど、仕事内容が楽しかったのと、人間関係がとっても穏やかで居心地がよかったので、ストレスもなんとか中和されて結局34ヶ月そこで働きました。退職の決め手は、『会社の規模と給料』です。低いときは、手取りで13くらい… 最高でも18万。それで奨学金毎月6万円を返していたので、服を買うことも、贅沢品を買うこともできず、図書館が唯一の安息の地でした。

暇な時間が多かったので、そんなもんだろうと自分を納得させていましたが、周りで新卒に務めた友達がボーナスで70万近くもらっているのを見ては、落ち込んで、の繰り返しでした。好きなことをしていても、満足に生活ができるお金がないって、惨めなもんだな~としょっ中思いました

 

⑦ 某有名アパレルブランドへの内定が決まり、一気にキャリア女子へ

「そろそろ大手に行きたい」と思っていた矢先登録したエージェントから「多分受かるとおもんですが、受けてみませんか?」とありがたいお電話をいただいたのです。書類は一瞬で通過。担当さんが熱心に、面接対策を一緒に練ってくれて、4回の面接をみごと(すれすれで)通過し無事内定本社は高層階で東京中が見渡せ、これ以上ないほどにお洒落な空間で働くことになったのです。

給与は月額手取りで10万近くアップ、月給は30万~33万近く貰っていたと思います。いままで「会社の規模が」という理由でできなかった大きな取引、海上輸送実験、物流網の構築。アイディアだけで止まっていたものを、「これをこうしたら」を、具現化できるのが楽しくて気がついたらプロジェクトをいくつか率い、優秀賞を貰うまでに。考える力をくれた最初の会社の上司と、アパレルで自由~にさせてくれた上長には感謝してもしきれません。

 

⑧ TOEIC900を取得してからは、就職市場で引っ張りだこに

忙しいだけの毎日はいやだと、取得したTOEIC910その後Linked inでプロフィールを更新した結果、Robert Weltersというイギリス系の人材会社から連絡を貰い、これからのキャリアについてお話ししませんか」お昼に来ていただいんですね。そしたら、色々面白そうな案件がいっぱい出てくること、出てくること、ヘッドハンターと会う機会が一気に増えたのです。

それまでとにかく一人前になろうと、理不尽なことも耐え我慢しひたすら突っ走って来た5年半。ようやく力をつけ一社会人として、「行けるところに行く」ではなく「行きたいところに自分から赴く」ことができるようになったようにおもいました。あのとき、踏ん張って、本当によかったなとその時ばかりは自分を褒めてあげたい気持ちでした。

 

⑨ 正社員生活にピリオド、ノマド生活に足だけ浸かる

その後、パワハラなどいろいろあり、気がついたらマルチ商法に引っかかって財産を失う、というとんでもないオマケつきなんですが、身につけた力と、経験はなくなるわけもなく、その後は某上場企業にて通訳・翻訳に従事。そこでまた違った経験を身につけたことにより、独立し、通訳や海外交渉代行などをフリーで行うことができるようにもなりました。

正社員の最後は提示給与が480万くらいだったので、それには至らないものの、精神的にはとても自由になりました。ひとつひとつをみるとなかなかしんどい経験の連続でしたが、留学からその後身についたものはとても多かったのです。

 

ニートになってもどん底になっても、自分次第で何とかなるよ

留学から帰った後の、なんとも言えない気持ちは、今でも忘れられません。ニート生活と、社会人1年目は、人と比べてばっかりで惨めな思いを沢山したとおもいます。お金が十分にないって、自尊心を根こそぎ奪い取るのです。

9年経って思うのはムダなことは何1つなかったこと、そして、いつだって、今やっていることが、5年後の結果に直結しているこというなら留学は、晴れ舞台でなく「種まき」のようなものだと思います。自分の可能性をそこかしこにおいてくる。帰ってからは、栄養をあげる時間。すぐに芽は出ないのだけど、丁寧に、めげずに手入れを続けていけば、絶対に芽が、そして綺麗な花が咲く日が絶対にくる。人生は自分で何とでもできる。留学後どん底に落ち「役立たず」と言われた自分でもこんな風にいま、(ひぃひぃいいながらも)好きなことでお金をもらえているのだから。

 

あとがきにかえて

friends love

自分には語学の才能も、うらやまれる程の美貌もないけれど、だからこそ、丁寧に、コツコツとやってこれたのかなとおもいます。唯一あると思うのは、「努力を継続できる才能」だけ

これは仕事だけでなく言語学習にもいえること、「努力」と「勉強」は裏切らないのです。

留学後が怖い?不安?失敗したっていいじゃないか何もないより、ずっと、ずっといいじゃないかいま目の前にあることは、すべて自分が起こした行動の結果です。それを変えたいなら、行動するしかないのです。ぜひぜひ若い人には後悔のない人生を、そして思いっきり今を生きて欲しいなとおもいます。

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フリーランス通訳者。バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて社内通訳・翻訳を2年、ビックデータ関連の海外取引に携わる。国際交流のイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。2020年に独立。
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