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TOEIC900を超えたら、退屈から抜け出せると思っていた

2020/11/12
 
退屈
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フリーランス通訳者。バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて社内通訳・翻訳を2年、ビックデータ関連の海外取引に携わる。国際交流のイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。2020年に独立。

海外取引8年目、TOEIC900を超え1年がたちました。もちろん享受したメリットのが、遥かに大きいのですが「この先どうするのよ」と拍子抜けしたも事実。

「足るを知る」という言葉にあるとおり、日常をどう捉えるかは自分次第で、何か武器を身につけたからといって、自分の思考が変わるわけじゃないんですね。『新鮮、楽しい、幸せ』はいっときの感情でしかなくて人生に満足できるか否かに資格や、所有物は関係ないのだな、と気付きました。というわけで、どなたかTOEIC900を取得して「アレ」と悶々とされている方に何かが伝われば幸いです。 (2020年3月加筆 さらに1年がたち、現在IT関連の会社にて社内通訳・翻訳に従事中)

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なぜTOEICにこだわったのか

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた

私はそんなに長く英語上達を目標にしてきたわけではありません。どちらかというと、それしかできなかった、というほうで。貿易メインで海外取引に携わってきたものの、

  • 調達業務や、
  • 社内通訳、翻訳など

幅広く仕事していくためには、「わかりやすい結果」を持たなきゃだめだ、と気づいたから取ったのです。それで食べていくためには、自称ではなく誰にでも「できる」とわかる資格を持たないと相手にしてもらえないのを、いくつもの面接で痛いほど知っていたからです。(参考:3ヶ月でTOEIC900を達成したので、方法をまとめてみた )

 

英語がペラペラになったら、退屈な日常が変わると思った

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた

「よし、次の試験に向けてやるぞ~」と燃えていたときは、「これをクリアすれば、こんな楽しい未来があるかも」という気持ちが常に片隅にありました正直、常にわくわくしていたのです。

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた

なによりその時従事していた仕事 (貿易云々) は楽しかったのですが、相手はほぼ中国か東南アジアの工場だったので、主に日本語か中国語だったので何か物足りず…. ただ漠然と「900を越えればこの退屈な日常が変わる」と思っていた のです。

 

確かに日常は変わったけど

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた

  • プライベートの友達は半分以上外国人になり、
  • 「英語に関連した仕事」だけで食べていけるようになり、

いろんな面で生活は変わりました労力に対する対価報酬も増え、働く時間はほぼ1/2で月収は変わらず30万維持と、金銭的にもメリットがありました。

あったのですけれど…

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた

いままで、目標を追いかけて必死で勉強していた、「今の退屈な日常が変わる」とおもっていた。でも、変わった日常だって1年も経てば、それも「普通の日々」になってしまうのです。

 

TOEIC900を超えたら、その先は?

TOEIC900を超えたら、退屈から抜け出せると思ってた

  • フリーランスの通訳を目指す
  • 国際会議での同時通訳者を目指す
  • 洋書の翻訳をする
  • 外国の大使館で働く
  • マルチリンガルになる(中国語、スペイン語など)
  • 英語を教える側にまわる

頭に浮かぶことは色々あるのですが、「これ」というものをまだ見つけられていませんひたすら契約書を翻訳していると、これを一生の仕事にするのも、なにか違う気がするのです。AI翻訳の開発会社から、翻訳レビューと営業のお話しをいただいたのですが、そっちの方がまだ自分にはしっくりくる気がします…

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結局何を身につけても、満足か否かは自分の思考次第

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた

今思うのは、「足るを知る」という言葉にあるとおり、『日常をどう捉えるかは自分次第で、何か武器を身につけたからといって、自分の思考が変わるわけじゃないんですね。

『新鮮、楽しい、幸せ』はいっときの感情でしかなくて人生に満足できるか否かに資格や、所有物は関係ないのだな、と気付いてしまいました。

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた 与えられたているものだけを見ていれば、常に満ち足りていられるのです。人生に足りないものを見ていれば、決して満たされることはありません(オードリー・ヘップバーン名言 画像:晩年)

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あとがきにかえて

TOEIC900を超えたら、退屈な日々から抜け出せると思っていた

ちなみにこれは、「TOEICは意味がない」といった趣旨の記事ではありませんそして取っても使い道がない、という話しでもないのです。

  • 英語がペラペラになったら、退屈な日常が変わると思っていたけど、
  • TOEIC900 (といった武器) をもっても、1年も経てばそれが普通になってしまう

自分の人生に満足するか否かは、資格や所有物でなく自分の考え次第だなというお話しでした。また新たに「何か」を追い求める前に、「今あるものに感謝し、当たり前の幸せに気付ける余裕を持ちたい」なとおもいます。

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フリーランス通訳者。バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて社内通訳・翻訳を2年、ビックデータ関連の海外取引に携わる。国際交流のイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。2020年に独立。
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